[TOP] [HIROSHIMA] [LIBERTY] [更新] [NOB] [運動会] [年表] [MUSIC] [紅白] [JFC12] [掲示板] [LINK] [感想] [あとがき] [おまけ]
2000/6/25

唐版 滝の白糸



パンフレットより

唐版・滝の白糸
昭和50年3月11日〜16日
キャスト
アリダ;沢田研二
銀メガネ;伊藤雄之助
お甲;李礼仙

羊水屋;阿部昇二
小人のアトム;唐柔太
小人1;ミスター・三日火
小人2;スマイリィー・キング
小人3;岸川実
運送屋;不破万作
運送屋;十貫寺梅軒
工事人夫達;
赤石武生・谷正雄・鈴木 弘一

演出;蜷川幸雄

アリダ;沢田研二
兄はもうずいぶん前から、僕等と別れてあの部屋で女と同棲していたんです。
同棲はその頃、大流行で墓に足を突っ込みかけた婆ぁもじじぃも犬までも同棲合戦だったから、 兄もそこらのつまらない水商売の女とできちまって、一緒に暮らし始めたんでしょう。隣の人から 話を聞けば遊びじゃあなく、結婚までしようと誓ったそうですが分かったものじゃありません。 結果は二人で心中 流しにお湯をためて手首を切り そこにつっこんだということです。

お甲;李礼仙
流しにたまった血。それがジョウゴに吸い込まれてゆく。その時。このお甲は思いました。 血を抜かれてひっくり返る体ではなく、港に立ってきっとふり返る姿をね。
ああ、 体が欲しい。五体そろって海辺をつっぱしり カンカン帽をふっている男の体を! あんたの兄さんが死んで あたしが生き返ってしまったのはこの気力の差。さあもう時間が ないわ。お金を下さいな。あの部屋に赤いボンボリつけてあんなに飾っておきましたから。

銀メガネ;伊藤雄之助
あたしは君を誘拐したんじゃないっ。君にエメラルド・ボァを見せにいった。横須賀のドッグに とまっている五万トンの船のスクリューがどれ程大きいか見せにいっただけなんだ。そうだろ、 それなんだよ!君はそれを信じていてくれた。

しかし、美しすぎるものを見た後にはきっと不吉な星があらわれるだから私は怖かった。

それにつけても、やはり、あたしが血のつながりもない君の手をとっていささか長い散歩に 出かけたのは非常識だったんだろうか。何か異常な風情が見えたんだろうか?

確かに異常であったかも知れない。アマゾンの梢に絡みついたエメラルドのウロコを見ているうちに 何かドキドキしてきてね、あたしは異常の旅を恐れ気もなく志していたのかもしれない。

羊水屋;阿部昇二
私は一旗あげるんだ。去年の春、中山競馬場で君の兄さんに会った時、私は一年後に再会して 共にこの町に販売店をつくろうと約束したんだ。クロレラ入りの乳酸飲料の販売店をね。  

主題歌
夏のカンカン 
作詞 唐十郎 作曲 井上堯之

1  憶えているかい カンカン帽 白い砂丘に 一人ごち
  夏のそよ風 受けてたね  それからそれから どうしたろう
  今は はぐれて海の底  わらがちぎれて指になり 
  沈んだ船の奥にある  恋のオルガン 弾いたのかい?
  あのからい夏の日からとうとう 
  お前は 伝説になったね
  ぼくのカンカン帽

2 憶えているかい カンカン帽 まぶかにかぶって  目をほそめ
  まだせぬ恋を待っていたね それからそれから どうしたろう
  今は はぐれて波の下 黄色い帯がほぐれてゆらり
  イルカの首に巻きついて 七つの海を渡ったかい?
  あのからい夏の日から とうとう
  お前は 伝説になったよ 
  ぼくのカンカン帽

作者の真意;唐 十郎
地球が球体ではなく、どこまでもだだっ広い闇のなかのマナイタだと思われていた頃、戦さに 敗れて追手ののろしから逃げのびる勇者たちは皆、海の見える崖に立ち、昨日死んだ我が友は 何処にと、霧のかかる海の涯て、その彼方に在るという「死者の国」に思いを馳せた。今、このほの 暗い狐火列島日本のメッカ、魔都・東京に生を受け、耳をそぎとる寒風の中で目をこらせば、古代 の勇者があれほど記憶の馬に鞭打って、亡き友をさがしにでかけたあの「死者の国」へ、めぐり めぐった迷路を抜けてひょっこり立っている自分自身を思わせないだろうか。高いビルはそそり 立つ墓に見え、らせん状の高速道路は空中に架けられた三途の川に思えてくる。つまり、この妄念 を最も親密に抱かされるのが現実である。
それは「小さな中世」と言えなくもない。そして自家製「滝の白糸」をパイプにして、劇場に 現れる「冥府めぐり」の観客と共に「魔界」の乱痴気騒ぎに身を投じてみようというのが、この度の 作者のコンタンである。

今日、冥府の世界と最もよく密通したる者こと、最高のエンターデイメントであると私は信じる。

キャスチングと演出プランについて;蜷川幸雄
闇の女王と白昼の王子が密会するとしたら、これはすでに神話だ。 このキャスティングの力学は、唐十郎のファナチックな傑作と激しくぶつかり、華麗で しかも壮烈な逆転劇となるだろう。

ぼくはただ力学の計算をすればいい。
1時間20分の上演ののち、観客は劇中のアリダのように「この芸のお代はかならず 払いますよ!」と叫び、やがてはお甲のように手首の蛇口を開くにちがいない。

新聞より
朝日新聞 3月12日;
今日の日本の現代劇に一番欠け落ちているのは、おそらく、いい意味でのスペクタクルの要素だろう。 だがこのスペクタクル復活をきわめて大がかりな形で実現しようとした注目すべき試みが、企画集団 『花の社交界』プロデュースによる唐十郎作、蜷川幸雄演出の『唐版・滝の白糸』である。

 たしかに約1200人の超満員の観客をのみこんだ大映撮影所の大スタジオは、"演劇スペクタクル" を自称するにふさわしい道具立てを備えている。超リアリズムといえるほどの細密さで組みたてられた 荒廃した長屋のセット(美術;朝倉摂)が舞台から客席までをほぼ半円型に取り囲み、ここで唐独特 の下町的叙情と鮮血のロマン主義にいろどられた約1時間半のドラマが展開する。長屋育ちの青年 アリダ(沢田研二)、その兄嫁で今は女プロレスの"芸人"お甲(李礼仙)、少年時代のアリダを誘拐して 刑務所入りした銀めがね(伊藤雄之助)、乳酸菌飲料を売る偏執的な羊水屋(阿部昇二)、この4人の 奇妙な絡み合いが劇の主筋である。
 長屋の物干台が崩れ落ちる屋台崩し、お甲が演じる"滝の白糸"の水芸、さらにみずからカミソリ で手首を切り、鮮血をしたたらせるお甲を乗せて客席の頭上を飛び交うクレーン仕掛けの流し台など、 スペクタクルな見せ場も豊富である。

 にもかかわらず、この公演が必ずしも成功していないのは、第一に、元来がこじんまりとした まとまりのよさをもつこの一喜劇が、いわば強引に"演劇スペクタクル"に拡大されたため、そこにどうにも 埋められぬす隙間、つまりは一種の空々しさがつきまとうためだ。
第二は演技の問題だ。李はあざやかな好演で、阿部も面白い球を見せるが、伊藤は前半を盛り上げ る迫力と力感に欠ける。沢田も好感はもてるが、演技者としての幼さは隠せない。スター中心の プロデュース公演という制約はあるにせよ、演技全体を白熱化した"集団力学"へともう一段高めること が演出の義務であったろう。

要するに、蜷川演出はそのイメージ性ゆたかな卓抜なテクニックの数々にもかかわらず、この戯曲 のロマン派の美学を、ダイナミックにではなく、かなりメカニックに展開してしまった感が強い。 だがそれを"演劇スペクタクル"への道が誤っているため、と即断してはなるまい。むしろ新しい 方途への試行錯誤にみちた第一歩そ考えるべきだろう。16日まで午後7時、東京・京王多摩川の 大映東京撮影所。

?新聞 3月10日 ;
 異色の作、演出に異色のキャスト、しかも異色の場所での公演という、異色ずくめの"演劇スペクタクル" が11日に幕をあける。 状況劇場を率いる唐十郎が執筆し、昨年の日生劇場"ロミオとジュリエット"のざん新な舞台で話題を 呼んだ蜷川幸雄が演出し、歌手の沢田研二と状況劇場のヒロイン李礼仙、ベテラン俳優伊藤雄之助に 浅草出身のコメディアン阿部昇二が顔合わせする一喜劇"唐版・滝の白糸"。しかも東京・京王多摩川 の大映東京撮影所大ステージ(約1000人収容)が初めて"劇場"として使われる(16日まで夜7時。 京王線京王多摩川駅下車2分)。

 この公演は劇団制による公演ではなく、映画・演劇プロデューサー葛井欣士郎らがこの公演のため に結成した企画集団『花の社交界』によるプロデュース公演。それだけに、新劇、商業演劇、 前衛劇、歌謡曲といった旧来のワクをとり払った思い切った配役とスタッフが集まった。
 この戯曲は、昨年刊行された「別冊新評・唐十郎の世界」に発表された新作で、唐一流の下町 的叙情に華麗なロマンと幻想性があふれる作品。なかでも評判を呼んでいるのが、スター歌手沢田の 舞台初出演。アクの強い俳優に取り囲まれて連日けんめいにけいこに打ち込んでいるが「何もかも 初めてのことだらけなので、恥をかかないようにと精一杯です。とくにふだんマイクを通して歌って ばかりいるので、生の声でどこまでやれるかちょっと不安で…」ち語る。
 だが、共演の李は「沢田さんは想像以上にカンがよくて、下手な小細工をするプロの役者さん よりよっぽど新鮮でいいですよ」。 この公演が"演劇スペクタクル"と名づけられている通り、蜷川演出はかなり大胆な"仕掛け"の 多い舞台をねらっている。
「スペクトラム・エンターティメントとか呼ぶことによって、演劇の”戦線”の幅をひろげて みようと思っていうrのです。作品に即していえば、叙情の果てからわい雑さの果てまで、その両方 の振幅を丸ごと含みえるような舞台をつくってみたい」と意欲を語っている。